番外地映画劇場

映画を中心とした自由なブログです。

日本沈没 1972年 <前編>【番外地日劇】

番外地日劇 2

2020.1.17

日本沈没 1972年 ネタばれありです。<前編>


日本沈没

【クリックすると予告編が見れます。】

 

 この原稿を書き始めたころ、テレビのニュースでは「阪神大震災から25年」という話題を放送していました。

 それを見ながら生前の原作者である小松左京のことを思い出しました。小説家の枠に収まらない天才と思っていました。多分野で活躍していたイメージが強く、以前はテレビもよく出ていたのに、最近、見かけないなと感じたことがありました。「日本沈没」でも一瞬、ゲスト出演していますが、あのイメージで頭の中に残っていました。久しぶりに新聞か雑誌で見たときは、年をとったのもありますが、体調が悪いのか別人のように見えました。あとで、阪神大震災後、心の病になったとの記事を読みました。


日本沈没 上 (カッパ・ノベルス)

 この映画を見たとき、自分はまだ小学生でした。当時、すでに小説の劇画化、ラジオドラマ化が行われており、子供ながらも、大ベストセラーであることは知っていました。その時の自分は、皆もそうでしたが、読書というか、本といえばマンガばかり、さらに本を読むより、テレビばかり見ていて、活字は敬遠していました。


日本沈没 (1) ‐列島震撼‐

 マンガ週刊誌も、よく見ていました。さいとうたかをによる劇画は、週刊少年チャンピオンに連載されていました。しかし、子供だったので、登場人物のゴルゴ13風の濃い顔や、リアルな絵の雰囲気に拒否反応があったのと、何かむずかしいイメージがあり、飛ばして読んでいませんでした。(大人になったら、アレルギーはなくなり、ゴルゴ13も好きになりました。)子供に悪影響を与える低俗なギャグマンガ(ホメ言葉です。)の「がきデカ」※1とか、「恐怖新聞」※2など読んでいました。

 ラジオドラマも、何かのときに途中から聞いていた記憶があるのですが、音だけなので、やはり第一回から集中して聞かないと、何が何だかわからず、聞くのをやめた記憶があります。それでも、気になったので、今回、調べていたら、平日の夜、毎日15分づつ、全130回放送していたそうです。しかもキャストが、多分、若いころの江守徹、大地喜和子や加藤武北村和夫だったと知り、役者だけなら、実写化も可能な雰囲気と思いました。

 2011年3月の東日本大震災のとき、被災はしなかったものの、自分の人生でも未経験の出来事だったので、新聞を熟読し、テレビニュースとネットばかり見ていた時期がありました。そのとき、ネットの誰かの書き込みに、このようなことが書いてありました。

「昔、テレビでアニメの「宇宙戦艦ヤマト」とテレビシリーズの「日本沈没」を日曜日の夜に続けて、放送していたことがあったが、現実になってしまった。」

自分はリアルタイムで「宇宙戦艦ヤマト」を見ていなかったのと、テレビの「日本沈没」を見ていなかったので、あまり実感はなかったのですが、あれほどの大地震とその後の余震は、「日本沈没」を思い出し、不安を掻き立てるには十分すぎました。また、最初「宇宙戦艦ヤマト」は何を意味しているのか、すぐに気づかなったのですが、考えてみたら、宇宙人からの核攻撃を受け、放射能で汚染され、地上で生きていけなくなった人類(といっても登場人物は日本人の名前で、戦艦大和を改造して宇宙に行く設定)の話で、福島原発事故が起きた、2011年3月の日本を予言していたテレビ番組が、1974年に放送されていたことを知りました。(つづく)


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※1 がきデカ 

 クレヨンしんちゃんと同じで下半身を露出する、警官の格好した変態小学生。顔は、子供の顔ではなくおっさんの顔。しかも、「死刑」という言葉を連発。今、考えると設定が凄すぎ。子供の時に、こんなマンガを笑って、読んでいましたが、一応、まともな大人になりました。

※2恐怖新聞 

読むと中学生の主人公の寿命が縮む新聞。一日よむと、寿命が100日縮む。なんて怖い新聞でしょうか。当時、こっくりさんも流行っていました。しかも、つのだじろうの独特な画風が怖かったです。

大人になってから知ったことですが、会社倒産など苦境にあった手塚治虫の「ブラックジャック」も連載されていて、よく読んでいました。分野は違いますが、すごいマンガだらけでしたね。